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クオリアの手前

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うつくしい、と思うものは、そんなに人それぞれ違うんだろうか。

クオリア(感覚質)は、絶対的な知覚についての事だとおもうけれど、もうすこし相対的な部分が、クオリアと自分の間にあって、それは思い出だったり、感情だったり、単純に、すきか、きらいか、ということなのかもしれない。

自分が作ったもので、文句なく「うつくしい」と思えるものは、とてもとても少ない。
すき、は、もうちょっとだけ多い。うれしい、は、もっともっと多いけどね。

自分自身に対する、何かの感情、もしくはこれまでに構築してきた経験がそう思わせる、思わせないのかもしれないし、普遍的に見ればやっぱり全然うつくしくないのかもしれない。自分のことを絶対的な価値観の中にもっていこうとして、うまくいったためしがない。




前置きが長くなってしまったけれど、私の中にもそれなりに、これはうつくしい、きれいと思う基準があって、そう思えるものをただ見ているのがとても好きなようだ。そして心地いい。

色々考えると、うつくしくて好感をもてるものを見ていて、心地よくならない人も、いるのかもしれないって思うけれど、そしたら「何をうつくしいと感じるか」に話を戻して検証しないといけないから、そしたら「うつくしいと感じるのはこの色だ」ということになって、結局クオリアに戻ってしまうのね。
知覚する内容も人それぞれ、そこから感じる事も人それぞれなんだろうか。


だとすればお互いを知るなんて、程遠いことだとも思えるけれど、
今日は偶然といろいろな方から、「きれいだなあ」って思えるいろいろなものや生き方を見せてもらったり頂いたりした。
答えは意外と、身の回りにあるのかもしれないとも思った。
私が大切に思う人たちは、私以上に私が何が好きかを知っている。


(ちなみに、上の画像も、今日ある方から頂いたんですが、やっぱり元気でました。皆さんは、どうですか?)

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